対人関係のトラブルから解放される「課題の分離」
- いさむ 小林
- 2024年4月22日
- 読了時間: 3分
更新日:2024年4月23日

今回は対人関係の悩みから解放されるヒントになればと思って、「課題の分離」という考え方を紹介します。
▼目次
1. 課題の分離とは
「課題の分離」というのは、アドラー心理学の考え方の一つです。
『嫌われる勇気』という有名な本の中にも書かれています。
課題の分離とは、「これは誰が受けもつべき課題なのか」という視点から、「自分の課題と他者の課題を分けて考える」というものです。
例をいくつか挙げたほうがわかりやすいと思います。
職場の上司が朝から機嫌が悪くてプンプンしていたとします。
そうするとあなたは、昨日の仕事で自分が何かミスをしてしまったのかなとか。
朝の自分の態度に悪いところがあったのかなとか。
あれこれ自分と関連づけて考えてしまうかもしれません。
でももしかすると、上司の問題で、朝家を出る前に不機嫌になるような出来事があったのかもしれない、
単に体調が悪いのかもしれないなどと誰の課題かを考えるのです。
職場でよく同僚に残業を代わりに頼まれることがあるとします。
「また今日も残業」
「いつも私ばかりに仕事をさせて」
同僚に対して悪い感情を抱くかもしれません。
でももしかすると、人から嫌われたくなくて、断ろうと思えば断れる仕事もつい引き受けてしまっているかもしれません。
この場合は、同僚ではなくて自分の課題なのかもしれません。
このように誰の課題かが不明瞭になっていることで、不必要に対人関係でストレスやトラブルが生じてしまいます。
そこで誰の課題なのかを明確にするのが「課題の分離」です。
他者からどう見られるかを過剰に気にする人がいます。
突きつめて考えれば、他者が自分のことをどう考えているかは、その他者の課題であることがあります。
2. 他人の課題には踏みこまない
他者の課題に踏みこむことは、自分のためにも相手のためにもなりません。
靴ひもをうまく結べない子どもを母親が代わりに結んでやる。
これも子どもの課題に母親が踏みこむことになります。
母親が手を貸してあげれば圧倒的に早いです。
でもそれは急いでいる母親の都合であって、子どもにとっては自分で靴ひもを結べるようになるための機会を奪われていることになります。
その結果、いつまで経っても母親が子どもの靴ひも結びに手を貸さなければいけなくなります。
自分の課題か他者の課題かを整理するうえでのポイントは、
「その課題について最終的な責任を負うのは誰か?」を基準に考えることです。
「最終的に生きにくくなるのは誰か?」とも言い換えられます。
それが自分なら自分の課題、他の誰かならその誰かの課題。
そう考えて、他者の課題には土足でふみ込まない、また自分の課題に土足でふみ込ませないようにしましょう。
最後までお読みいただきありがとうございました。



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